ビヨンド 空の彼方に

アリゾナでのルンルン生活

今週のお題「人生最大のピンチ」

 

 

わ〜〜信じられない

 

最後のエントリーが2020年8月。コンピューターへの恐怖をなかなか克服できなかったのと、2021年2月に職場に復帰してから肉体的にも精神的にもかなりギリギリの状態で仕事をしてきたことが大きかった。今までどんなに忙しくても体力保存のために3−4日働いて、あとはお休みをとる生活に慣れていた。ところが21年秋ぐちから今年にかけて休日が1日しかない日が続いた。こんなのは生まれてはじめて。

 

コロナの影響?

 

我々セラピストは2年ごとにライセンスの更新をしなくてはならない。そのためには24時間のCEU(Continuing Educaton Units) クラスを取らなくてはいけない。今年はこのライセンスと運転免許の書き換えを6月7日までにしなくてはならなかった。いつもはCEUのクラスは更新の1年前には終了するように手配するのだけれども、今回はコロナ下でついうっかりしてしまったことと、スパでのお休みの申請との兼ね合いもあり、5月20、21、22日のギリギリでできるように手配をしていた。すべてがスムーズに行くはずだった。

 

青天の霹靂

 

私は疲れると喉が腫れてくる。なので風邪に発展しないようにビタミンCと亜鉛が入っているサプリをいつも手元に置いている。ボトルには2粒飲むと書いてあるが私は寝る前に大体1個飲むだけで次の日には治っている。5月の初めだったと思うがまた喉が腫れてきた。今年に入ってずっと週休1日でやってきていたので疲れが出ているのだろう。でもこのサプリを飲めばきっと明日には良くなっているだろうと確信していた。ところがどうも喉の腫れが引かなかった。そんな感じで2−3日ぐずぐすしていた。

 

これで助かっています。



 

そんなある土曜日。私たちの仕事は週末が稼ぎ時。いつものように仕事に出かけようと車に向かって歩いて行くと、警察官が円陣を作って立っていて、その数の多さに驚いたが、とっさに御辞儀をして私は歩き続けた。そして、そのことはあまり気にも留めないで仕事から戻って来た。と、私のすぐお向かいの下の階のご近所さんが、警察官がそのお向かいさんの車から死体を運び出していた。6時間くらいかかったと話してくれた。一体誰なんだろう?運転席ではなく、助手席から開けていたと。とにかくお向かいさんじゃない事を祈って部屋に戻った。そして日曜日、仕事から戻ってくると、例のご近所の女性がまるで私を待っていたかのように、新しい情報を教えてくれた。お向かいさんの車の中の死体は本人で、自殺をしたと。その言葉があまりのショックでそれから涙を堪えることができずにずっと泣いていた。今まで自殺をした人は誰も知らなかった。人に限らず、身近な死は人間を変える。彼女の死はなんだろう、うまく言葉では言えないが、何か頭をハンマーで殴られて感じがした。これについてはまた別の機会に話したいと思う。とにかく、彼女とは2日前に階段で会った時、いつものように綺麗で、とっても元気そうにしていた。お部屋のドアを開けた時に猫が出てきて私にすり寄ってきて、猫談義に花が咲いたのだった。そんな彼女が自分から命を絶つなんて全く青天の霹靂。

 

多分、そのショックが想像以上に大きかったのだったと思う、まだ治りきっていなかった風邪がその日を境に180度転換して、3日後には水も飲めないくらい喉が腫れてしまった。風邪薬も喉を通らないので慌てて友人に電話をして、病院に連れて行って欲しいとお願いした。その後すぐに病院に。友人は大げさにも私を車椅子に乗せて運び込んだ。こんな経験は初めて。どうも熱でフラフラしていたらしい。ただ自分では熱があるなんて思ってもいなかった。

 

初めてと言えば、そのまま病院に入院する羽目になったこと。かなりの高熱があったこと。それより、酸素の値が少なくなっていて、酸素ボンベが日常生活で必要かどうかのモニターをしなくてはいけなかったとか。そんなことで結局2日も病院に。病院では殺されるかと思った。とにかく、病院内が寒くて寒くて。毛布というものはなくて、シーツの厚手の物をくれるだけで、ただ重いだけで全然暖かくない。それだけでも死ぬかと思った。点滴は痛いし、血液検査のためにちょっちゅう血を抜きに来る。兎にも角にも、生きて戻ってこれたのが奇跡だろう。

初めての入院、初めてのUberを待っています。

病室とは裏腹の天国。あーこの青空。救われます。



ダブル パンチ

 

退院は5月14日の日曜日。CEUのクラスは20日から始まる。退院してからは体力の回復をまず第一にしてなんとかクラスは無事に終えて、合格点をもらえた。よく倒れなかったと思う。3日間で24時間。フラフラしながら通った。クラス終了後は更新の申請。これもAZのマッサージ協会の不手際というかなんというか、書類をFe Dexで送ることになり、金額もさることながら、精神的なプレッシャーが。でもとにかく一つは片付けた。残りは運転免許書。

 

そう、マッサージライセンスも絶対に必要だけれでも、これがないと仕事場には行けない。ネットで5月23日に予約を入れていたので余裕で更新できるはずだった。ところが目の検査不合格。運転用の眼鏡の処方箋を提出するように言われる。ちょうど数日後には眼科医の予約があったので、これもお願いすることに。処方箋を持ってまたDMVに免許更新に行く。ネットで予約をいてれいたのでほとんど待たずに窓口に行く。窓口担当者は前回と違う人。提出した処方箋を持って奥のほうにいる誰かと話をしている。待つこと数分。処方箋はDMV専用の用紙に記入していないとダメと。えーーーそんな。そんなこと言われなかった。でも、最初の人がくれた書類の中にその用紙が入っていた。体調が思わしくなかったので全く抜けてしまっていたようだ。そんな訳でまた眼科に用紙を届けに。私は仕事に行かなくてはならないので、次の日の朝一で書類を取りに来るとこを伝えて眼科を後に。そんなことで、3日続けて眼科に行く羽目に。それでも処方箋を指定の用紙にて提出することで、免許更新は受理。仮の免許証を出してくれて、正式な物は後日、郵送で届くことに。眼鏡はCsotoCoで注文し、2週間後には無事にゲット。

 

遠近用 Transition です

 

偶然ではないかも

 

今回の入院騒ぎ、驚くことばかりだったけども不運なこととはどうしても思えない。これはスローダウンしなさいと言う、天のお告げだと思っている。こんなことでもない限り生活パターンを変えられなかったのかもしれない。2019年にも思い返せばライフスタイルを見直すきっかけになり、それから雪崩式に新しい出会い、発見がにいたる出来事があった。今回のこともきっとそうに違いないと思える。そんなこともありしばらく遠ざかっっていたブログともまた向き合ってみようという心の余裕が出てきたのかもしてない。やはり、人生にありがとう〜である。